「わからない」が楽しいときと、しんどいときの差って何?


「わからない」を楽しめるときと、「もう嫌だ、投げ出したい」と感じるときの違いって、どこにあるんだろう?
学習欲堂々1位の私。
自分の中にある“学びたい気持ち”は常にあるはずなのに、
ある場面ではワクワクするし、ある場面では自暴自棄になる。
この差はなんなんだろう?と気になったので、深掘りしてみることにしました。
【体験A】「わからない」が楽しかったとき
さっきの仕事中。
これから始まるマンションの大規模修繕に関する見積書をチェックしていたときのこと。
最初は「ん?なんでこの金額になるんだろう?」と曖昧だった部分が、
読み進めるうちにだんだん解像度が上がっていって、
「これはどういう根拠でこの金額なんだろう?」
「この項目とこっちはどう違うのかな?」
と、自分の中に疑問が湧いてきた。
それがすごく楽かったんですよね。
・知的好奇心を刺激される感覚
・全体を通して、何がわかっていて何がわかっていないのかがわかってきた感覚
がありました。これは学習欲と収集心、戦略性が喜んでいたんだなと思います。

【体験B】「もう嫌だ、逃げたい」と感じたとき
別の日の会議。
新築マンションのプランニングについて複数人で話していたとき。
正直、周りの人が話していることが全然わからなかった。
でも、「今さらそんな基本的なこと聞けない空気だな…」と思って、
何も聞けず、ただうなずくだけになっていました。
どんどん置いてけぼりになってしまっていく感じがしてしまい、「勝手にやってくれ…」という投げやりな気持ちに。
代わりに、共感性や調和性が過剰に働いていたように思います。

「今これを聞いたら変な空気になるかも」とか、
「みんなの流れを止めたくない」とか。
結果、自分が置いてけぼりになってしまっていました。
わかったこと:私にとっての「わからない」を楽しめる条件
この2つの体験を比べてみると、気づいたことがある。
楽しかったときとしんどかったときの違い
ポイント | 楽しかったとき(A) | しんどかったとき(B) |
---|---|---|
主導権 | 自分のペースで進められる | 周囲のスピードに巻き込まれ、受け身になる |
ストレングスの状態 | 学習欲・戦略性が活性化 | 共感性・調和性が過剰に働き、学習欲が封じられる |
空気との関係 | 空気は気にならず、自分の問いに集中できる | 空気を読みすぎて、自分の疑問が出てこなくなる |
感情 | 「質問できそう!」というワクワク感 | 「なんで私はわからないんだろう…」という萎縮感 |
つまり私にとって、
- 自分で問いを立てられること
- わからないことが明確になっていること
- 無知を表明しても大丈夫そうな“安全な空気”
このあたりが揃っていると、「わからない」はワクワクに変わるのだ!!
とはいえ、「準備の時間がない会議」はどうする?
ここが一番の課題。
わからないことを事前に明確にしておくことが、私の心の安全性を確保するのに必要な条件ということはわかったけど、
それができない会議のとき、どうしたらいいのか?
対処法を考えてみました。
わからない×時間がない会議 → 私の対処法メモ
▶ すぐ調べられるような環境を整えておく
・iPadを持ち込み、chat GPTを開いてこそっとすぐ調べられるようにしておく
・「初歩的な質問を沢山するかもしれません」と最初に伝えておく
▶ 共感性・調和性を「貢献」に置き換えてみる
- 「この質問、自分のためだけじゃなく、他の誰かのためかも」と考える
- “遠慮”じゃなくて“助け合い”に変換すると、聞きやすくなる

あとは単純に「ゆるめる」意識を持つことかな。
▶ 内省タイムをあとでとる
- 質問できなかった理由を責めない
- あとで振り返って、疑問をじっくり育てる
まとめ
今回は、私が
「わからない」を楽しめる時、しんどい時の差は何なのか?
どのように対策したらいいのか?ということを自分のストレングスファインダーの資質を通じて振り返ってみました。
こういうこと、実はしょっちゅうあって💦
活き活きする時と絶望感の落差が激しいのでちゃんと対策立てておこうと思ったのでした。
皆さんはどうやってますか?
参考になれば嬉しいです☺